2004年9月1日水曜日

〔再録〕「農は文化と環境を育む」(富山和子)全農の一面広告……噴飯ものだ


旧HPからの移行掲載:


「農は文化と環境を育む」(富山和子)全農の一面広告……噴飯ものだ



息子が朝日新聞を持ってきた。コメについて書いてあるという。見てみると全農の広告だ。富山和子という人が書いているが、全農の立場が書かれていると見て差し支えないだろう。大きな議論のすり替えがある。


富山和子氏は言う:
  1. コメは栄養価が高い理想の食品である。
  2. 水田はダムである。水資源である
  3. 稲作は自然保護である。
  4. コメ作りを止めれば、日本人の勤勉性も失われ、モノづくり文化も衰退する。
  5. 日本の食料自給率が低いのは食料を輸入するからだ。
  6. 食料輸入は他国を収奪していることだ。
  7. 税金を投入して芸術を保護するように水田を守れ。
  8. 地産地消をするために国産品を買え。
  9. 都市住民は誰に養われているか考えて謙虚になれ。
  10. コメは日本の文化である。

典型的な「ごちゃ混ぜ議論」である。「江戸のカタキを長崎で」というか「ああいえば上祐」というか、関係ない事柄をたくさん持ち出して、焦点を拡散させる議論だ。以前紹介した農水省元ガット室長の論文「消費者負担型の農政こそが諸悪の根元だ」(山下一仁)」 と読み比べれば、この主張がいかに「ムード」だけに頼ったものかわかるだろう。

例えば:
  1. 「コ メは理想の食品」と云うが、精白米のことではなく玄米のことだろう。誰も玄米なぞ食べていない。また仮にそうだとしても、その「理想の食品」は海外でも生 産されているのであり、日本の特産物では決してない。いま議論されているのは、コメという一つの商品を日本の消費者にいかに安く安定的に多量に供給できる かであり、コメの栄養価とは関係ない問題だ。
  2. 水田はダムであるという。たしかにそういう一面もあるが問題の本質ではない。ダムが必要なら今の有休水田用地を溜池として活用することでも十分可 能だ。そのコスト比較はされたのだろうか。また水田はダムであると同時に多量の水資源を消費する水食い虫でもあるのだ。都市住民に必要な水は農業用の水配 分がなければ充分にあるし渇水問題もない。また、いま議論されているのは水田の生産性をいかにして高めるかという問題である。生産性の高い水田であっても 同じダム効果は現在の水田と同じである以上、農業構造改革が水田のダム効果を消滅させるという議論はまったく見当はずれである。全農は問題をすり替えてい る。
  3. 稲作は自然保護だとおっしゃるが、それは稲作を前提とする自然だろう。縄文時代には水田はなかった。でも自然は今以上にあった。明治神宮の極相林は、スギ花粉をまき散らすいい加減な農村の植林以上に余程自然のかたちを残している。
  4. コメ作りを止めれば日本人の勤勉性が無くなると云うが、噴飯ものだ。今一番勤勉に働いている人達は都会のサラリーマンや工場労働者だろう。農家の仕事は兼業で充分こなせるほどの軽い労働作業となっている。農家が勤勉だなんて、片腹痛い。
  5. 日本の食料自給率が低いのは輸入するからだとおっしゃるが、国内で充分供給できないから輸入するのである。話が逆だ。国内農家は日本人が消費する食糧を絶対量で供給できていないではないか。生産性の悪い国内農家の怠慢を外国のせいにしている。
  6. 食料輸入は外国の資源の収奪だと云うが、だったら日本国内の収奪は良いのか。あんたらは収奪されたいのか。そうではあるまい。おまけにその外国は日本に「収奪」されたがって、ぜひ買ってくれと言ってきている。
  7. 水田は芸術だと云うが、だったら稲作名人を人間国宝に十人も指名すればそれで済むことだ。日本では古来から農業は一番重要な「産業」であった。江 戸時代に誰も農業は芸術だなんて云わなかったことを思い出せ。みな必死で生産性の向上に取り組んだ。もっと農業の原点を勉強しろ!
  8. 「地産地消」と云うが、どの範囲を考えているのだ。或る場合は、村単位であったり、或る場合は県単位であったりするが、結局は国単位ということに 持っていくのが全農の目的のようだ。そういういい加減な定義なら、更にもっと広げて、二国間FTA単位であっても良いし、アジア単位であっても良いし、さ らには地球単位に広げても、もちろん「地産地消」だ。アホなことは云うんでない。もし自分の村だけで自分のためだけに農作物を生産して消費することを考え ているなら(これは都市住民への脅しとしてよく使われる。文句云うならあんたらに作物を供給しないよと言うやつ)、それは農地を保有する既得権者が自分の 農地を家庭菜園として使っていることと同じだ。だったら農地にもちゃんと宅地並みの固定資産税を払え。
  9. 都市住民は誰に養われているかを知って謙虚になれとおっしゃるが、我々の税金と人為的な高価格による過剰利潤で養われているのは、農民だろうが。 農村こそ謙虚になって欲しい。またそれをいうなら、都市住民は食料輸出国の農民に対しても同じ程度に謙虚にならなければいけない。彼等は農作物を都市住民 に供給していると云う意味で、あんたらとまったく同等である。
  10. 「コメは日本の文化である」という言葉はどっかで聞いた。森鴎外がこれを言って、兵隊にコメばかり食わせて数千人の陸軍兵士を脚気で死なせてし まった。典型的な思いこみにより犯した間違いである。たかが一つの商品に過ぎない食い物に過大な思い入れをすることは、卑しいし、滑稽だ。

こ ういう揚げ足をとるのが目的で書いたのではない。要はこの全農の主張は支離滅裂であるということを述べたかった。解決するべき問題は農業の生産性の向上で ある。これは何度も書いたが、消費者負担型農政と農業への新規参入を阻む閉鎖的な制度が一番のガンとなっている。農地法は直ぐに改正されるべきである。農 地の所有は、既得権者がそれを独占するいまの制度を改め、日本国民全体に開放されるべきである。


サイト内関連記事(キーワード「日本の農業」で検索) 

Posted: Wed - September 1, 2004 at 03:00 PM   Letter from Yochomachi   農業問題   Previous  Next   Comments  

0 件のコメント:

コメントを投稿